ワインと世界史

地を這うぶどう、ぶどう酒色の海

「地中海の人々がオリーブとぶどうを栽培するようになったとき、彼らの文明が始まった」

ギリシアの歴史家トゥキディデスが自著にこう記したように、ギリシアの文明はぶどうと共に発展していったといっても過言ではない。古代ギリシアは優れた芸術や文化を生み出し、人類の模範とも呼べる領域にまで到達した。人類の理想とも呼べる文化はどのようにして成立したのか、そのギリシアの文化にワインはどのように関わっているのか。それらの疑問の答えを探求するために、まずはギリシア初期のエーゲ文明の様子から見てゆこう。

クレタ文明

紀元前20世紀頃、オリエントからの影響もありギリシアのクレタ島で初めての青銅器文明であるクレタ文明が誕生した(ミノア文明と呼ばれたりもする)。彼らは地中海交易で発展し、壮大で複雑な構造を持つ宮殿をいくつも建築した。代表的なものはクノッソスである。このクノッソス宮殿は神話の舞台としても有名である。クレタのミノス王の妻の子である牛頭人ミノタウロスが閉じ込められた迷宮(ラビリンス)は、このクノッソス宮殿がモデルであると考えられている。

クノッソス宮殿(photo by Loic Pinseel)

彼らの建築した宮殿に共通する興味深い特徴は、どの宮殿も外敵から身を守るための城壁がなかったということである。もし頻繁に外敵の侵入があったならば、きっと堅牢な城壁を造っただろう。このことから、クレタ島の人々は外敵への警戒心が薄かったと考えられている。宮殿の壁画や土器などには人物や海の生き物などが活き活きと描かれており、海洋民族らしい奔放で平和な文明であったことが伺える。

ミケーネ文明

ギリシア本土では、紀元前20世紀頃に北方から移動してきたギリシア人が、クレタ文明やオリエントの影響を受け、紀元前16世紀頃にはギリシア本土でミケーネ文明を興した。彼らもクレタ文明と同様に地中海交易で繁栄したが、彼らは好戦的であり、紀元前15世紀にはクレタ島に侵入し支配するようになった。トロイの木馬で有名なトロイア戦争の神話も、彼らが小アジア(現在のトルコ)に位置するトロイアと戦った事実に基づいていると考えられている。ミケーネ文明は各地で小王国が誕生しており、その王は専制権力を行使し農民から農産物などを貢納として取り立て王宮の奴隷を養っていた(貢納王政)。クレタ文明とは異なり、強力な王政が確立されていたことがわかる。

ギリシア本土で繁栄したミケーネ文明であったが、紀元前12世紀頃になると突然各都市が破壊され文明としての終焉を迎えた。この突然の破壊の原因は様々な説が提唱されているが、同じ頃に地中海一体を襲った海の民(こちらも参照)がギリシア本土にも襲来したからという説が根強い。この破壊により、ギリシアは暗黒時代という約400年にも及ぶ混乱した時代に突入した。

オリーブとぶどう

古代ギリシア人は、海上交易を通してオリエント世界の技術や文明を取り入れ発展していった。彼らの交易品は、もっぱらオリーブ油とワインであった。

そもそもギリシアを始めとする地中海世界は、石灰岩質の痩せた土壌が広がっており、穀物の栽培にあまり適していなかった。しかし、オリーブやぶどうは痩せた土地でも栽培できる。古代ギリシア人は早い段階からオリーブとぶどうの栽培に精を出した。それにより食料の供給量が増大し、人口の増加につながった。彼らは収穫したオリーブやぶどうからオリーブ油やワインを造り、積極的に輸出した。彼らのオリーブ油やワインは徐々に洗練されてゆき、それが交易をさらに活発化させてゆく。

古代ギリシア人は文明が成立する前からぶどうを栽培し、ワインを醸造していた。クレタ島では紀元前20世紀頃のワイン醸造所と考えられる跡が発見されている。

彼らのぶどう栽培はどのようなものであっただろうか。ギリシアの島々や沿岸部は、風がとても強いことで知られている。ぶどうが風に煽られてしまうため、古代エジプトのようにぶどうをアーチ状にぶどうを仕立てることは困難だっただろう。強い風を避けるため、古代ギリシアではぶどうは石灰質土壌の上を這うように仕立てられていたと考えられている。我々が普段想像するぶどう畑と全く異なる景色が、古代ギリシアでは広がっていた。

この仕立て方法は、古代から幾ばくかは異なる形に変化したであろうが、現在でも風の強いギリシアの島々に受け継がれている。代表的なのは、サントリーニ島のクルーラ仕立てである。風の強いサントリーニ島では、ぶどうの枝を低く螺旋状に巻いていくことによって、ぶどうの房が風に煽られないような構造にしている。サントリーニ島はクルーラ仕立てで栽培したアシルティコが有名である。

クルーラ仕立てのぶどう
(photo by seligmanwaite)
クルーラ仕立てで栽培したサントリーニ島のアシルティコ

オデュッセイア

エーゲ文明の時代を舞台にした文学作品の一つとして挙げられるのが、古代ギリシアの詩人ホメロスが著した『オデュッセイア』である。オデュッセイアは、エーゲ海のイタキ島の王であるオデュッセウスのトロイア戦争に勝利した後の10年にも渡る漂泊の物語である。古代ギリシア最古とも呼ばれるこの物語は、当初は全くの神話であると考えられていたのだが、シュリーマンのトロイア遺跡発見によりある程度の歴史的事実も記載されていることがわかっている。

オデュッセイアは長い話であるため全体のあらすじの解説はしないが、物語を通して頻繁にワインに関する描写が現れる。特に印象的なのは「ぶどう酒色の海」という表現である。この表現がどのような海の印象を表すのかは不明であるが、確かなことは、物語中で何度もこの表現が使われるくらい古代ギリシアの人々にとってワインが親しみのある飲み物であったということである。

オデュッセイアの中に、当時のワインに関する興味深い挿話がある。オデュッセウスは船出する際に、トラキアで太陽神アポロンの神官であったマローンから授かった非常に強い赤ワインを持って行った。水で20倍に薄めて飲むべきとされたこの蜜のように強く甘い赤ワインは、オデュッセウスの秘密の武器であった。やがてオデュッセウスの一行はシチリア島で巨人に囚われてしまったのだが、彼は巨人にその強いワインを勧め、巨人が酔いつぶれてるうちに眼をえぐり対峙した。いつの世でも深酒は身を滅ぼす。

ここまでは神話の話であるが、古代ギリシアの島々では実際に甘口ワインが多く作られていた。ギリシアのレスボス島で作られる甘口ワインは、ギリシアやオリエント中の人々を魅了したし、キプロス島の甘口ワインは後のローマの時代になっても高い評価を得ている。当時のギリシアの島々では、完熟したぶどうを筵の上に広げ天日干しにし、糖分を濃縮させることによって甘口のワイン造っていたと考えられている。

現在でもギリシャの島々では同様の方法で上質な甘口ワインが造られている。ギリシャの島々の甘口ワインは、観光客にとても人気である。キプロス島のコマンダリアは、古代から続く醸造方法で造られる極甘口ワインである。3000年以上前から人々を魅了していた味を是非味わってみて欲しい。

クレオパトラも愛したという、紀元前から愛されてきたキプロス島の極甘口ワイン

以上のように、古代ギリシアはワインとともに発展したと言っても過言ではない。ギリシアはこの後、民主政などの改革などで地中海世界をリードしていくことになるのだが、その根幹はワイン貿易による生活の安定化であった。ワインを愛した古代ギリシアの人々は、優れた学問や芸術とともに優れたワイン文化を生み出してゆくのだが、この話は次回に持ち越そう。

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