ワインと世界史

ギリシア神話とディオニュソス

アキレス腱、ナルシスト、そしてパンドラの箱。

我々が普段何気なく口にするこれらの言葉は全て古代ギリシアの神話に由来する。アキレス腱は英雄アキレウスの唯一の弱点であり、ナルシストは水面に映った自分に恋をしたナルキッソス、パンドラの箱はパンドラが開けたこの世の諸悪の根源が詰まった箱に由来する。

数千年の時を経ても私たちの文化になお絶大な影響力を残すギリシア神話、もちろんワイン文化に何も影響を及ぼしていないわけはない。それどころか、ギリシア神話にはぶどう酒の神まで存在するほど、神話とワインは密接に関わっているのである。ギリシア神話とワインとの関わりの例は枚挙にいとまがないが、ここでは代表的なものをギリシア神話の概要とともに説明しゆく。

ギリシア神話とは

ギリシア神話とは、古代ギリシアから語り継がれる伝承文化である。つまり、ギリシア神話とはギリシア各地で伝説として語り継がれてきた物語群の総称であり、ギリシア神話という一つの体系化された書籍があるわけではない。古代ギリシア人の教養であったギリシア神話は、当時の人々のみならず、中世や現代にかけてまでも様々な文化人にインスピレーションを与え続けている。

ギリシア神話には、俗に言う神が多く登場するのだが、実は彼らは我々日本人が想像するような、仏のような高尚な思考の持ち主とは言い難い。彼らは、人間と同じように(そして人間よりよっぽど)恋愛をし、気に入らないことがあるとすぐに超越的な力を行使したり、人間界に頻繁にちょっかいを出し混乱させたりするような、もっと愛憎に満ちた人間味のある性格の持ち主である。

ギリシア神話で特に有名なのが、オリンポス山に住んでいると考えられていたオリンポス十二神である。オリンポス十二神は、主神ゼウスを中心とした、ゼウスの兄弟や子供で構成された神々の総称である。オリンポス十二神は以下の12の神から構成されている。

ゼウス(主神)神々の王、天空の神
ヘラ神々の女王
アテナ知恵・工芸・戦略の女神
アポロン予言・芸術・音楽の神
アフロディテ愛・美・性の女神
アレス戦いの神
アルテミス狩猟の女神
デメテル農耕・大地の神
ヘパイストス火山・炎・鍛冶の神
ヘルメス神々の伝令役
ポセイドン海の神
ディオニュソス豊穣・ブドウ酒・酩酊の神
オリンポス十二神

ちなみに、酒の神ディオニュソスは当初はオリンポス十二神ではなかったが、ヘスティアがオリンポス十二神の座を譲ったため、晴れて十二の柱の一角に座することができたとされている。

古代ギリシア人にとってオリンポスの神々は崇敬の対象であった。太陽神アポロンが祀られているギリシアの聖域デルフォイは、その神からの言葉である神託を授かれる場所であった。「デルフォイの神託」は人々やポリスの運命を左右するものとして考えられており、古代ギリシアの王までもが重要な決定をこの神託に委ねたとされている。

パリスの審判

ギリシア神話は西洋人の精神世界の源でもあるため、ワイン文化にもギリシア神話に由来する言葉がたくさんある。有名な例として挙げられるのは、「パリスの審判」であろう。パリスの審判とは、青年パリスが三人の美女を前に最も美しい一人を選んだせいで、最終的には大きな戦争を巻き起こすというギリシア神話である。

トロイア王であるプリアモスの王子パリスは、数奇な運命のもとに生まれてきた。パリスが誕生する直前に、プリアモス王のもとに預言者が現れ「この子はいずれこの国を滅ぼす」との予言を残した。予言を恐れたプリアモス王は、生まれたばかりの自分の子を奴隷に渡し、山に捨てるように命じた。しかし奴隷はその子を家につれて帰り、パリスと名付けて育てた。パリスはすくすくと育っていき、立派な青年になっていった。

ある日パリスが散策をしていると、目の前に三人の美女が現れた。その三人とは、ゼウスの妻であるヘラ、知恵と戦いの女神アテナ、そして愛と美の女神アフロディテである。彼女らは三人のうちで誰が一番美しいかを争っており、その審判をパリスに行ってもらおうとした。三人の女神は様々な賄賂でパリスを引き込もうとするが、パリスは最後に一番美しいのはアフロディテであるとの審判を下す。アフロディテは、選んでくれたお礼にパリスに世界一美しい妻を授けると約束した。しかし選ばれなかったヘラとアテナはおもしろくない。いつかお前は故国トロイアを滅ぼすことになる、と宣告し去っていった。後に、パリスは絶世の美女であるスパルタの王妃ヘレネを奪い去り、そのことがきっかけでトロイア戦争が引き起こされた。そしてヘラやアテナの宣告通り、トロイア戦争によりパリスの祖国トロイアは滅亡してしまった。

クロード・ロラン『パリスの審判』

以上が、ギリシア神話における「パリスの審判」のおおまかなあらすじである。しかし、ワイン愛好家の思い浮かべる「パリスの審判」はこれとは違う話であろう。

1976年、パリで行われたイベントは世界を震撼させた。かの有名なアカデミー・デュ・ヴァンというワインスクールを開いたスパリュアは、フランスのワイン業界の要人9人を集め、フランスワインとアメリカワインをブラインドで試飲し順位をつけようというイベントを開いた。当時のフランスではアメリカワインは無名の存在であり、誰しもがアメリカワインが高順位になるとは考えていなかった。ムートンやオー・ブリオンなど錚々たるフランスワインが並ぶ中、審査員がブラインドで最も高評価をつけたのは、なんと白ワイン赤ワイン共にアメリカ産のワインであった。このテイスティング会以降、アメリカ含むニューワールドのワインが世界的に注目されるようになった。この審判により、ワイン世界は新たな時代に突入したと言っても過言ではない。

トロイア戦争という大惨事ではないものの、その後のワインの行く末を大きく動かすこの審判は、上述のギリシア神話の逸話とパリで行われたということをもじって「パリスの審判」と呼ばれるようになった。

パリスの審判で、ムートンとオー・ブリオンを抑え最高評価を得たのは、スタッグス・リープ・ワイン・セラーズのカベルネ・ソーヴィニヨンであった。世界のワインの情勢を変えたワインをぜひ飲んでみていただきたい。ちなみに、アルテミスはギリシアの狩猟の女神である。フランスワインを討ち取ったワインであることを象徴しているのだろうか?

パリスの審判において、ムートンとオー・ブリオンを差し置き最高評価を受けたワイナリー

ディオニュソス

古代ギリシアの当時の人々は、ギリシア神話の神々をどのような存在に位置づけていたのだろう。ポリスの長たちは重要な決定の際にはデルフォイでアポロンからの神託を得たり、アテネでは神々を祀る壮大な神殿アクロポリスなどが建設されたりと、古代ギリシアの人々は神々を崇敬していたことは間違いない。しかし、結局人々にとって、オリンポスの神々は神話の中で語り継がれる遠い存在であった。しかし、ぶどう酒の神ディオニュソスは違った。ディオニュソスは、ワインという形で直接人々の不安を和らげ酔いや喜びを享受してくれる。雲の上に座する他の縁遠いオリンポスの神々とは違って、ディオニュソスは確かにギリシアの人々の中に存在していた。

ディオニュソスは、主神ゼウスと人間のセメレの間に生まれた子である。ゼウスの不倫に嫉妬したゼウスの正妻ヘラの策略により、セメレはゼウスの光を浴びて死んでしまったが、子のディオニュソスはゼウスの腿の中で育てられた。ディオニュソスはすくすくと成長して雪、やがてぶどうの栽培やワイン醸造を発明し世界各地を放浪する。オリエントやエジプト、さらにはインドの方まで遍歴しワインを広め、信者の獲得に励んだ。彼の周りには、熱狂的な信者であるマイナデスと呼ばれる踊り狂う巫女たちや、半人半獣のサテュロスたちが付き従い、ディオニュソスの神聖を認めないものは狂わされたとされている。さすがは酔いの神である。

ディオニュソスの秘儀

ワインをギリシアに広め、人々に酔いの喜びを与えたディオニュソスは、当時の庶民にとってはひときわ魅力的で親しみやすい神であった。そのため、古代ギリシアでは様々な形でディオニュソスを祝う祭りが催されていた。

有名なのが大ディオニュシア祭と呼ばれる祭りである。毎年3月にアテネで開催されるこの祭りの醍醐味は、なんと言っても劇である。大ディオニュシア祭の日には多くのアテネ市民が劇場に集まり上、エウリピデスやアイスキュロス、ソフォクレスなどの著名な劇作家が書いた劇(悲劇がメインであった)をワインを飲みながら楽しんだ。この祭りは、僭主ペイシストラトス(詳しくはこちら)によりアテネの中心行事となった。このことは注目に値する。というのも、それまでの時代においては、権力者にとってディオニュソス信仰は忌むべき存在であったためである。ディオニュソス信仰は狂気と結びついており、女性や奴隷などの社会的身分の低い者たちの暴動ともみなされていた。その代表例がディオニュソスの秘儀であろう。

冬になると、ギリシア中の大勢の女がディオニュソスの巡礼に旅立ち、デルフォイの神殿を目指した。デルフォイの神殿は、一年のうち9ヶ月はアポロンの神殿であるが、冬の3ヶ月はディオニュソスを祭る神殿になる。彼女らはマイナデスに扮してディオニュソスの巫女の仲間入りをし、夜になるとデルフォイの神殿の奥に佇むパルナッソス山に登ったとされる。寒く暗い冬の山で彼女たちが何をしていたかというと、病的なまでな狂乱であったという。携えていった革袋からワインをらっぱ飲みし、夜な夜な酔っては集団で踊り狂っていた。集団ヒステリーという特殊な精神状態で、彼女たちは蛇を鷲掴みにしたり獣を殺して生肉を食らったりという普段では絶対に行わないような所業を何のためらいもなく行っていたとされている。秩序とは全く正反対の世界である。このディオニュソスを奉る男子禁制の狂乱の祭りのことをディオニュソスの秘儀と呼ぶ。この祭りはローマにも伝わり、ローマではバッカナリアと呼ばれていた。

Nicolas Poussin "A Bacchanalian Revel before a Term"

当時は、女性は男性に遣える身分の低い立場であった。そんな中ディオニュソスの秘儀は、彼女たちが唯一精神を解き放てる機会であった。身分の低い者たちが唯一心を許し陶酔する機会を与えてくれるディオニュソスは、庶民を中心に着実に信者を増やしていった。大ディオニュソス祭はその典型であり、ディオニュソスを進行する民衆勢力は侮れないものになっていた。聡明な僭主ペイシストラトスは、民衆の要求に屈する形で大ディオニュソス祭を公認行事にした。

ディオニュソス信仰はローマの時代まで続いたとされているが、キリスト教の台頭により、狂気を伴う信仰は下火になっていった。しかしディオニュソス信仰は、聖書にも引用されるように、キリスト教に多大な影響を与えたとされている。

古代ギリシアでは、間違いなくぶどうの神ディオニュソスは民衆のヒーローであった。これが何を示すかというと、古代メソポタミアやエジプトでは神や王の酒であったワインが、古代ギリシアの時代になると貴族だけではなく庶民にも広く飲まれる飲み物になっていたということである。神話の登場人物であるとはいえ、ディオニュソスは間違いなく私たちにワインを与えてくれたのである。

古代ギリシアの時代を通じて、ワインは貴族や知識人、そして庶民に幅広く親しまれるようになり、一つの文化として花開いた。このワイン文化は幾ばくか形を変えながら、古代ローマへと継承されてゆく。次回からは、ヨーロッパ至上最大の領土を誇った古代地中海の支配者ローマについて見てゆこう。

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