ワインと世界史

ノアの方舟とギルガメシュ叙事詩

少し世界史の話からそれてしまうが、ここでノアの方舟ギルガメシュ叙事詩について話そう。

ノアの方舟はご存じの方も多いと思うが、ギルガメシュ叙事詩の方はあまり馴染みがないかもしれない。ノアの方舟とは、旧約聖書の『創世記』に登場する大洪水に関する物語である(旧約聖書については後の投稿で詳しく紹介する)。それに対してギルガメシュ叙事詩とは、およそ5000年も前に書かれたとされる古代メソポタミアの文学作品であり、世界で最も古い物語と言われている。

全く別の時代に書かれたこの2つの物語は、一見両者に何の関係性もなさそうであるが、実はこれら2つの物語は切って離せない関係にある。そして面白いことにこれら2つの最古の物語には、描写のされ方は違うのだが、共に物語にワインが登場する。これらの物語とワインの歴史の関係性などは追って紹介するとして、まずは旧約聖書に記載されているノアの方舟のあらすじを紹介しよう。

ノアの方舟

ノアの方舟の物語の舞台は、アダムとイブがエデンから追放され、その子孫が地上に繁栄し始めた時代である。この頃は旧約聖書に「地上には人の悪が増し、常に悪いことばかり心に思い計っている」と記載があるように、人々は堕落していた。神はこの状況に落胆し、洪水を起こしこの世の生き物を一掃しようと考えた。しかし唯一ノアは神に従う無垢な人間であった。神はノアに、「私は洪水を起こし地上の生き物を滅ぼす、お前(ノア)は方舟を作って生き延びろ」と伝えた。この時、神はノアに対して、妻子や全ての生き物のつがいを一組ずつ船に入れろであったり、食べ物を集めろであったり、さらには船の細かい寸法まで指示しているのだが、従順なノアは全て指示通りに果たし方舟を作り上げた。やがて神の宣告通り洪水が地上を襲った。地上の生き物は大洪水に尽く飲み込まれ滅びてしまったが、方舟に乗り込んだノアやその妻子、そして生き物のつがいのみが生き残った。洪水は150日間も続き、ノアの方舟はアララト山(現在のトルコ東部の山)の頂きまで流された。このときノアは、地上の水が引いたかどうかを鳩を飛ばして確認していた。水が引くと鳩は地上のオリーブを加えてノアの元へ戻ってきたため、鳩は神と人間の和解、つまり平和の象徴として現在も奉られている。地上を飲み込んでいた水はやがて引き、また大地が再び姿を見せた。神はもう二度とこのような洪水を起こさないことをノアに誓い、空に虹をかけた。

洪水が収まり神が虹をかけた

よく知られているノアの方舟の話はここまでだが、ワイン好きにとっては実はこの続きが興味深い。

ノアはこの洪水の後に農夫となり、ぶどう畑を開墾しぶどう酒を造っていた。ノアはそのぶどう酒で泥酔し、そのままつぶれて天幕の中で裸で寝てしまった。せっかく助けてやったのにやれやれお粗末な顛末だと神は思っただろう。つぶれたノアを見つけた息子ハムは兄弟を呼んだのだが、(なぜか)ノアは激怒しハムの息子カインを呪ってしまう。カインはなんというとばっちりだろう。このノアの泥酔の様子は戒めとして、ミケランジェロの手によってバチカンのシスティナ礼拝堂(ローマ教皇の公邸)の最上部の絵画に描かれている。

システィナ礼拝堂天井画の『ノアの泥酔』

ノアは聖書上で初めてワインを飲んだ記念すべき人物のため、しばしばワインのラベルに使われたりする。シチリアのトップワイナリーのCUSUMANOは、この世で初めて造られたワインのイメージから「ノア」という名のワインを出している。

「この世で初めて造られたワイン」というイメージから、「ノアの箱舟」よりインスピレーションを得て「ノア」と名付けられた、イタリア シチリア島で造られる上質なワイン

ギルガメシュ叙事詩

さて、話をギルガメシュ叙事詩に移そう。

ギルガメシュ叙事詩とは、先述の通り古代メソポタミアの文学作品である。この話がなぜノアの方舟の後に並べられるかというと、旧約聖書よりずっと前に書かれたギルガメシュ叙事詩にノアの方舟と関連する記述が記載されているからである。

1872年発表された論文は世界を驚かせた。古代メソポタミアに存在したアッシリア帝国の都ニネヴェの図書館から見つかった粘土板に、ノアを彷彿とさせる洪水の記述が見つかった。この粘土板はギルガメシュ叙事詩の一部であったため、ギルガメシュ叙事詩の解読が盛んに行われるようになった。当時のヨーロッパでは旧約聖書が最古の物語だと考えられていたため、それに先行する物語があることにひどく驚いたようだ。

ギルガメシュ叙事詩は世界最古の作品であるとともに、ブドウとワインが登場する世界最古の物語である。ギルガメシュ叙事詩のあらすじを紹介してからワインの話に移るとしよう。最古の物語ながら、友や死、そして生命について考えさせられる深い内容である。

ギルガメシュ叙事詩の主人公は、シュメール人が建国したウルク朝の実在の王、ギルガメシュがモデルである。ギルガメシュは敵なしの勇猛な人物であり、それゆえ暴政を行っていた。市民は神に頼み込み、神はギルガメシュと対等に渡り合えるエンキドゥという男を作り上げた。ギルガメシュはエンキドゥと戦った。その戦いは長く激しいものであったが、お互いの力は互角であったため結局決着がつかず引き分けに終わった。戦いの後に二人はお互いを称え合い、無二の友になった。友を知ったギルガメシュは、暴政を辞め名君になった。

ある日ギルガメシュはエンキドゥに、森に住む怪物フンババを倒しに行こうと持ちかける(フンババは神が遣わした森の守護者であり怪物)。フンババの恐ろしさを知るエンキドゥは制したが、ギルガメシュが意思を曲げることはなかったため、二人で森にフンババを退治しに向かった。フンババに対峙したギルガメシュは足をすくませたが、友エンキドゥの言葉に鼓舞され、ついに二人はフンババを倒した。

フンババを討ち取ったギルガメシュとエンキドゥは、ウルク市民に歓迎された。そのギルガメシュの姿に女神イシュタルは惚れ込み、彼に求婚を迫った。しかしギルガメシュは、女神イシュタルの今までの不貞を長々と説教し、すっぱりと断ってしまった。面子を潰されたイシュタルは憤慨し、ギルガメシュに復讐することを誓った。父神に頼み天牛を作り出してもらい、それに乗り街を襲った。ギルガメシュとエンキドゥは力を合わせて戦い、ついに天牛を殺しイシュタルを退けた。

飛ぶ鳥を落とす勢いのギルガメシュとエンキドゥに頭を悩ませた神々は集会を開いた。神の遣わした森の守護者フンババに加え天牛まで殺したギルガメシュとエンキドゥに対し、神々はどちらかが死ななければならないと宣告した。その宣告通り、エンキドゥはギルガメシュが見届ける中息を引き取った。

死について深く考えるようになったギルガメシュは、永遠の生命を持つと言われるウトナピシュティムに会い、死を克服する術を教えてもらおうと決心する。ウトナピシュティムを訪ねる旅を始めたギルガメシュは、やがてマーシュと呼ばれる山につく。門番の蠍人間を説得し、長い暗黒の道を進むと、やがて視界が開けブドウがたわわに実る美しい地にたどり着いた。女神シドゥリや舟士に導かれ、ギルガメシュはついにウトナピシュティムと出会う。ウトナピシュティムは、神々に指示され過去の大洪水を方舟を作り生き残った人物であることをギルガメシュは知る(ノアの方舟の原型とも言える話はここに出てくる)。

死を克服する術を求めるギルガメシュに対し、ウトナピシュティムは7日間寝なければ教えるという試練を与えた。しかしギルガメシュはまもなく深い眠りについてしまう。絶望とともに起床したギルガメシュはウトナピシュティムに懇願し、なんとか若返りの草のありかをウトナピシュティムに教えてもらう。教えられた場所でついに若返りの草を手に入れたギルガメシュは、ウルクへの帰還途中に泉を見つけ体を清めた。のんきにギルガメシュが入浴して目を離している間に、なんと蛇が若返りの草をとって逃げてしまった。それに気づいたギルガメシュは悲観に暮れたそうだ。

以上が、ギルガメシュ叙事詩の大まかなあらすじである。とても数千年前に書かれたとは思えない手に汗握るような、そして友や生死について考えさせられる物語である。ここでは大まかなあらすじしか紹介していないが、興味のある方は原初を読んでみるとよい。

長くなるので今回は触れなかったが、ウトナピシュティムはギルガメシュに対して自身の洪水のエピソードを事細かに話している。彼の語った話は、神が洪水を起こすと啓示し具に方舟造り方の指示を出したり、洪水が治まったかを鳩やカラスを飛ばして確認したりと、旧約聖書のノアの方舟と瓜二つな内容であった。

作中では、ウトナピシュティムは方舟を造る際、多くの人を動員したと語っている。船を造るのは非常に大変な作業であったのだろう、彼は労働の対価として祭日のように「ぶどうの汁(赤ワイン)、酒、油、そして白ぶどう酒」を与えたと言っている。興味深いのは、この当時(紀元前2~3000年)にすでに赤白二種類のワインがあったということだ。そしてこれらが祭りのように労働の対価として振る舞われたということは、ワインは特別な日に飲むハレの酒であったということである。

また、暗黒の道を抜けた際に美しいぶどう畑があるというのは象徴的だ。物語はいつも当時の世相をありありと表す。バビロニアではぶどうは栽培されていなかったことから、バビロニアの人々は異国の地のぶどう畑に幻想を抱いていたのかもしれない。そして美しいぶどうから作られるワインも、当時の人にとっては高貴さの象徴であったに違いない。このような当時のワイン事情が古代の物語から推測できるのはとてもおもしろい。

色々と推測が混じってはいるが、この古代の物語から確かにわかるのは、紀元前約3000年前から確かに人々はブドウ畑を開墾しワインを造り、そして飲んでいたということである。しかし、この時代に造られていたワインはただブドウを自然に発酵させた原始的なものであっただろう。私たちが普段の飲むようなワインになるためには、醸造の工程においていくつかのステップが必要である。次回はメソポタミアから場所を移して、ワインの醸造工程をめざましく発展させた古代エジプトに焦点を当ててみよう。

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