ワインと世界史

初めてワインが造られた場所

私たちが普段何気なく飲んでいるワインは、いつどこで造られ始めたのだろう。

発掘調査によると、ワインが初めて造られたのはおよそ紀元前5~6000年ごろ、現在ジョージアが位置する地域だと考えられている。

ワインは、人類の文明の出現とともに歴史に顔を出すようになった。ワインの起源を知るにはまず人類の起源について、そして文明の起源について知るのがよい。そのため、まず最初に人類や文明の出現の歴史を概説しよう。

人類と文明

我々人類はいつ生まれたのであろうか。

現在の人類(ホモ・サピエンス)は、約10万年ほど前にアフリカで誕生したと考えられている。ホモ・サピエンスはアフリカから世界中に広がってゆき、約6万年前にメソポタミアの地に、約3~5万年前にヨーロッパやアジアに、そして約1万5千年前にアメリカ大陸へ到達したとされている。

しかし、初期の人類はとても文明的な生活をしているとは言えなかった。彼らは集団で生活していたものの、穀物の栽培などは行っておらず、石器などを用いて狩猟採集をするという原始的な生活を営んでいた。

しかし、文化的な創造活動が全くなかったというわけではない。現在のフランス西南部に位置するラスコー洞窟や現在のスペインの北部に位置するアルタミラ洞窟には、約2万年前の人類が描いたとされる人間や野生動物などの絵が活き活きと残っている。どのような意図を持ってこのような絵を洞窟に残したか今となっては知る由もないが、確かなことはこの時期の人類はすでに他の動物には見られない高度な文化を持っていたということである。

ラスコー洞窟は、ボルドーを擁するジロンド県の右隣ドルドーニュ県に位置する。ドルドーニュ県もボルドーブレンドのワインが作られている。アルタミラ洞窟はスペイン北部のカンタブリア州に位置する。カンタブリア州のワインはあまりお目にかかることはないが、アルバリーニョやオンダラビ・スリ(チャコリの品種)、メンシアなどのスペインを代表する品種が栽培されている。

ラスコー洞窟に描かれた牛の絵
(from wikipedia)

さて、人類が文明を作り始めたのはいつ頃だろう。

その前にまず「文明とは何か」という問題を解決しなければいけないが、これは少々難しい問題である。文明とはなにか、文化とどのように異なるのか。残念ながら両者の違いを詳細に述べるのは本ブログの趣旨と異なってくるので割愛するが、簡単に言うと文明とは大きな人口を抱え高度にシステム化された都市国家である。

大きな人口を抱えるには、効率的な食料調達が不可欠である。石器を使った狩猟採集生活では数千もの人口を抱えるのは不可能である。大きな人口を抱えるためには、もっと効率的な食料調達手段である農耕(穀物などの栽培)が必須である。

最終氷期が終わり気候が温暖になった約1万年前頃から、人類は農耕を始めたとされている。もちろん最初は乾地農法や略奪農法などの原始的なものであったが、やがて外部から農耕地に水を人工的に供給する灌漑農法が始まると生産が効率化し、余剰生産が増え人々は豊かになっていった。不毛な土地に住む人々は豊かな土地に移り住むようになってゆき、そこはやがて大きな人口を抱える都市へと発展し文明を作り上げてゆく。

世界最古の文明は、現在のイラクの一部で民族系統が不明のシュメール人が興したメソポタミア文明だと考えられている。紀元前3000年前頃には、シュメール人はウルやウルクなどの都市国家を築き上げ、メソポタミア文明を開花させた。彼らは、農耕はもちろんのこと、言語を使用したり経済的活動を行ったり、さらにはジッグラトに代表される巨大な建造物を建築したりと、文明と呼ぶに相応しい功績を残している。

メソポタミア文明は、チグリス、ユーフラテス川沿いで出現し発展した文明であるが、同じく紀元前3000~2000年前頃に大河沿いに3つの文明が誕生した。ナイル川沿いに出現したエジプト文明、インダス川沿いに出現したインダス文明、黄河沿いに発展した黄河文明である。これら人類最古とも言える4つの文明を世界四大文明と呼んだりもする(学校でも習う世界四大文明、実は日本と中国でしか用いられていない曖昧で通俗的な単語である)。

インダス文明や黄河文明はワインの歴史を語る上でさほど重要ではないので今回は割愛するが、エジプト文明はワインを語る上で欠かせないので、別途ページを設けて詳しく説明する。

文明とワイン

前述の通り、今からおよそ1万年前に人類は作物の栽培を始めたとされている。小麦や米などの穀物を始めたがよく取り沙汰されるが、同じくらいの時期から人類はブドウの栽培も始めていたとされている。

ブドウは本来は雌雄異株の植物であり、ブドウの実をつける雌株(雌花しかつけない株)と、ブドウの実をつけない雄株(雄花しかつけない株)と分けられている。古代人はこのことに気づき、実のなる雌株のブドウを選択して栽培したであろう。しかし雌株だけでは子孫を増やせない。最終的に残ったのは、雄花と雌花のどちらもをつける数少ない雌雄同体株であった。雌雄同体株は、雌株に数は劣るが雄株がいなくても実をつけることができる。いつしか雌雄同体株が選択的に栽培されるようになっていき、野生のブドウと栽培されたブドウが区別されていくようになる。

ジョージアで、約7000年前の世界最古のブドウの種が見つかった。このブドウの種は雌雄同体株のものであることから(雌雄異株と雌雄同体株の種は形状が違う)、約7000年前からコーカサス山脈の南の土地でブドウの栽培が行われていたであることが支持される。これが、ジョージアがワインの生まれ故郷だという一つの証拠である。

さて、栽培されたブドウはワインに仕上げられたのだろうか。これははっきりとはわからないのだが、間違いなく言えることはワインを造るためにはが必要であるということである。器がなければブドウの果汁を発酵させることはできない。

太古のコーカサスの人々は、ちゃんと立派な器を作っていた。紀元前5000~6000年前と考えられる、現在はクヴェヴリと呼ばれている大きな土器の甕が発見されている。土器には穀物や水なども入れていただろうが、ブドウも入れ保管していたであろう。そのブドウを放置していると自然と発酵が始まりワインが作られるであろう。その液体を飲むと気分がよくなることに気づくのにさほど時間はかからないはずだ。

クヴェヴリでブドウを発酵させていた証拠もジョージアで見つかっている。約8000年前の土器の破片から、酒石酸が見つかったのだ。この酒石酸は、ブドウに含まれる以外には自然界にはほとんど存在しない珍しい酸である。そもそも酒石酸のという名前は、ワイン(酒)の沈殿物(石)に由来する。土器の破片から酒石酸が見つかったということは、土器にブドウから絞った液体を入れていた何よりの証拠である。

このようなことから、今日我々を魅了するワインの源流はジョージアであると考えられている。

クヴェヴリ
(photo by Levan Totosashvili)

ジョージアでは、古来からこのクヴェヴリを使用してワインが造られてきた。ブドウの果汁や絞りかすをクヴェヴリに注ぎ、密閉し発酵させる。クヴェヴリは基本的に冷たい土に埋められるため、ブドウ果汁の発酵中の温度が安定する。この伝統的なクヴェヴリを使用したワイン造りは、2013年にユネスコの世界無形文化遺産に登録されている(我らが和食も同じ2013年にユネスコの世界無形文化遺産に登録された)。ワイン醸造が無形文化遺産に登録されている例は、2020年10月現在ジョージアをおいて他にない。

ジョージアではクヴェヴリを使ったオレンジワインが有名である。近年のオレンジワインブームにより、ジョージアワインも日本でよくお目にかかるようになった。これを期に是非ユネスコ無形文化遺産のクヴェヴリワインを試してみていただきたい。

以上のように、今日世界に広がっているワインの源流はどうやらジョージア周辺であるようだ。紀元前6000年ごろから人々はワインを飲んでいたらしい。しかし、当時のワインは現在のワインとは似ても似つかぬものであることは容易に想像がつく。ワインの飲み方も現代とは異なっていただろう。今後は、この原始的なワインがどのように発展して現在に至るのかを人類の歴史とともに見てゆこう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です