嗅覚疲労を回避せよ
ワインの香りが最初と違う?
ワインをテイスティングしている時、最初と香りの印象が違うな、と感じたことがある人は多いのではないでしょうか。
これは実際にワインの香りが変わった可能性も考えられますが、私たちの嗅覚が、つまり私たちの匂いの感じ方が変化したということも十分に考えられます。
ワインのテイスティングにおいて嗅覚は非常に重要な役割を果たしますが、嗅覚器は他の感覚器官に比べ非常に疲れやすい感覚器官として知られています。
そのためワインのテイスティングにおいては、なるべく嗅覚を疲れさせないように最新の注意を払わなければなりません。
このページでは、嗅覚はどのように疲弊してゆくのか、疲弊させないためには何をすればよいのか、を解説していきたいと思います。
嗅覚の疲弊
嗅覚の疲労とは、物質の香りの感度が下がることを指します。これは順応ともよばれ、不快な匂いにさらされ続けるというストレスを軽減させるための人間の生体防御と考えられます。
嗅覚の順応には二種類あることが知られています。脱感作と交叉順応です。
脱感作
人はある強い匂いにさらされ続けると、直にその匂いをあまり感じなくなります。このような、匂いを学習しそれに対しての反応が鈍化していくプロセスを脱感作と呼びます。
匂いの強い部屋に入ると最初は強い匂いを感じますが、時間とともに匂いを感じなくなります。これは実際に匂い物質が部屋からなくなったわけではなく、私達が特定の匂いに脱感作したことが原因です。
脱感作は、どんなに強い匂いが支配的な場所においても僅かな匂いを感じられるようにするための人間にとって極めて重要な能力ですが、ワインのテイスティングにおいては仇となるときが多々あります。
脱感作は特定の感覚に長時間さらされ続けるとそれに対しての反応が鈍ってゆくプロセスですが、逆に反応が敏感になっていくプロセスは感作と呼ばれます。
交叉順応
特定の匂いにさらされ続けると、その匂いに対しての感度が鈍ると同時に別の香りへの感度にも影響が出ます。
交叉順応(cross-adaptation)とは、ある匂いAに順応してしまうことにより、別の匂いBに対しても順応してしまうことをいいます。
ある匂いを嗅いでいると他の匂いに対しての感度も鈍ってしまう交叉順応は、脱感作以上にワインテイスティングの敵です。
交差順応はまだ科学的に未解明な部分が多く、どの香りをかぐとどの香りがどの程度鈍ってしまうのか定量的に議論することができず、防ぐことが大変難しい現象です。
嗅覚疲労を防ぐには?
脱感作や交叉順応は、ワインのテイスティングにおいては避けるにこしたことはありません。なぜならば、そのワインを特徴づける重要な香りを知覚できなくなってしまうからです。
同じ香りの感度が下がる脱感作は予測しやすいと思われますが、交叉順応の方は全く関係のない香りによって生じてしまうため、いつ生じるかの予測がつかず甚だ厄介です。
さて、嗅覚疲労はどのように防げばよいのでしょう。
一番の対策は、強い匂いを放つものを身に着けないということです。強い香りを放つ香水や化粧品などは、どんなにワインに関係のない香りだとしても交叉順応を生じる危険性があります。
自分で身につけていなくても、強い香りの場所を通らなければならなかったり、強い香水の香りを放つ人に遭遇してしまうかもしれません。そういった場合は、なるべく匂いを嗅がないように鼻を守ったり、速やかに対比することが重要です。
そして、嗅覚とは疲労しやすいものだということを自覚することも重要です。
どんなに対策をしたところで、ワインを何種類もテイスティングをしていると必然的に脱感作や交叉順応は起こってしまいます。このような嗅覚疲労のため、私たちの嗅覚は時間とともにワインの香りの特徴を変化させ、私たちを楽しませ、ときには困らせたりします。人間の嗅覚とは元来このような気まぐれなものなのです。
ワインの香りが最初の印象と違うのは必然ですし、テイスティング中にそのことで焦っても仕方がありません。ワインの香りが最初と違う印象になったと思ったら、嗅覚疲労が生じている可能性がありますので、一旦鼻を休めればある程度回復が見込めます。
そして香りの印象が違うということは、最初には隠されていた別の香りが漂ってくるということ、つまりテイスティングのヒントが増えるということです。嗅覚疲労を逆手に取ってワインの手がかりを探してゆくと考えると、嗅覚疲労は特段焦るべきものでもないと思えるかもしれません。
私たちの生き物としての嗅覚は、いとも簡単にものの香りを変えてしまうものであるということを受け入れ、謙虚な姿勢でワインと向き合っていくことこそがテイスティングの極意だと言えるのではないでしょうか。